姫路蒲田村創業 おつかい菓子 甘音屋おつかい菓子 甘音屋

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文tube 「嫁入り」

7月16日(木)1日臨時休業を頂いて

店内を改装する。

 

11年ぶりのことである。

 

私は百貨店に勤務していたこともあり、

「改装は最低10年に1度で行うもの」

と考えている。もう1年以上過ぎてしまった。

 

20年近く前の「スイーツバブル」から

スイーツもファッション化し、

インスタなどのSNSの普及で、味のみならず、

ビジュアルやパッケージ、売場の雰囲気などの

統一感が求められる時代である。

 

当店も開業当時から商品内容が大きく変わり、

売場とのバランスが合わなくなってきた。

 

また私は和菓子と洋菓子の垣根を無くしたいと

常々考えている。

ゆえにどちらが並んでいても違和感の無い売場を

作りたいという気持ちの変化があった事も理由の

一つである。

 

改装により売場の顔であるショーケースは

県立姫路商業高校に「嫁入り」が決まった。

商業を学ぶ生徒さんたちの学校教材として

使っていただける。この上無い喜びである。

 

ショーケースを見ると今でも思い出すが、

開業前に売れている和菓子店を

片っ端から見て回り、ショーケースに近づき、

手の位置で高さやガラス面などの長さを計った。

 

面白い事に売れている店のショーケースの高さや

商品陳列の位置などは共通していた。

私の様に視察に訪れ、調べたのであろうか。

とても興味深い。

 

やはりショーケースと「お別れ」は寂しい。

お客様との思い出が詰まっているからである。

先日玄関の話をしたが、このショーケースの上で

どれだけのお客様とご一緒させて頂いただろう。

ショーケースを壊してしまうとその思い出が

消えてしまう様でやりきれなかった。

本当に「嫁入り先」が決まって良かったと

心から感謝している。

 

ショーケースだけではない。

売場はお客様との思い出、スタッフとの思い出、

そして家族との思い出が詰まった空間である。

 

開業当時1度だけ母が来店してくれたことがある。

認知症を患って施設に入っていたが、月に一度の

検診の帰りに父が連れてきてくれた。

 

少し話が反れるが母は元アナウンサーだった。

結婚してからはフリーのアナウンサーとして

活躍する一方でアナウンサーの養成に

力を入れていた。

 

「授業料をとらない上にお昼ご飯を出す教室」

と言ってよく自慢をしていた。

「生徒たちの成長が私の生きがい」と授業料を

貰わず「お金の無い学生のために」と

生徒さんにお昼ご飯を作って出していた。

私の記憶が正しければ薄味の焼き飯を

出していた気がする。

 

「語尾は上げるのではなく下げる!」

「もっと強く!強弱がたりない!」

ととにかく細かい音の違いを指摘して指導

していた。レッスンでは時に男性の生徒さんが

泣きながら帰る事もあった。

 

物心ついた時から母の横でそんなレッスンを

聞いていた私は、いつの間にか細かい音を拾う

「癖」がついた。

今も餡を炊くときに餡を見ることは殆ど無い。

あんの状態を音で聞き分ける。

甘音屋という屋号がついたきっかけも

その一つである。

 

認知症を患ってから数年経った頃、病魔は

「話す」という命の次に大切なものを

母から奪った。言葉が出にくくなった

だけでなく声も出しづらくなっていった。

無念であったと思う。

 

母が来店してくれた時のことに話を戻す。

 

車から降りて車椅子でギャラリーに入り、

一段落したと思うとお客様に深々と頭を下げた。

と同時に皆は気が付かなかったが

「いらっしゃいませ」と言った。正直驚いた。

またその直後に私がスタッフに「母だ」と

紹介すると、母はまた頭を下げて

「よろしくお願いします」と言った。

 

認知症で何も分からなくなっていたはずだが、

本能的に息子が何をしているのか理解した

のだと思う。

皆は母が何を言っているか?気が付かなかったが

私は母から授かった「癖」が活きた。

 

その時の事を思い出すと今でも涙が止まらない。

今回は母との思い出を語ったがお客様との

思い出も数えきれない程ある。

思い出が沢山たくさん詰まった売場である。

 

今日この売場とはお別れである。

「娘」は姫路商業高校が引き取って下さる。

「彼女」はきっと新しい環境で

活躍してくれると思う。

 

「彼女」が語りかけるメッセージを感じ取り、

一人でも多く商いの道を選び、売場を作り、

一つでも多くの思い出を作ってほしい。

 

そんな思いを込めて

「父親」として「娘」を送り出しエールを送った