文Tube 「跡は継がせない」
2020.6.29
甘音屋は私が初代である。と同時に終代である。
つまり息子に跡を継がせないということである。
他に跡を継ぎたいという人が現れた時はその時に
考えるが、森家としては私が終代である。
息子には「継がせない」息子も「継ぐ気はない」
と意見が一致している。
息子には息子の人生がある。
彼の可能性を和菓子という括りで縛りたくない。
私がそう言うと「どうしても息子さんが
継ぎたいと言ったら?」と聞かれる。
それでも継がせない。そもそも跡を継がせる為の
教育もしていないし、どうしても菓子を志す
というならば、自分で自分の「新しい菓子」
を作ればよい。
少し話が反れるが、私の前職は百貨店マンだ。
異動が多い職種だったが本当に様々な経験を
させて頂いた。特に東京事務所での勤務は本当に
良い経験となった。
東京事務所は高島屋の本社にあった。
さすがは大手百貨店である。いろんな情報が
常に飛び交っていた。
当時私は「新業態開発」という業務を担当し、
百貨店という枠にとらわれず、東京の
「新しい情報」を姫路本社の社長以下役員に
報告をするという仕事を頂いていた。
業務自体は大変責務の重いお仕事だったが、
拘束時間もなく上司もいない。極端に言えば
家で寝ていても分からない。そんな「自由」な
業務だった。
縛られることが嫌いな私は「自由」に東京を
飛び回った。しかし「自由」という言葉には
「責任」という言葉がセットである。
月に一度本社で報告会があり、社長以下役員への
報告は情報の鮮度、内容が求められた。
情報量はボリュームが無ければ決して乗り
越えられるものではなかった。
自由な業務だったが、早朝から夜遅くまで都内を
走り回って必死に情報を収集していた。
そんな仕事が大好きだった私が脱サラをして
和菓子屋を始めた。
開業して11年になる。この11年間様々な事に
取り組んできたが、何よりも同業他社が
やらない様な「新しい取り組み」に
力を注いできた。「新業態開発」である。
「去年の成功は今年の失敗に繋がる」とも教育を
受けてきた私は前年の実績のない新しい施策に
毎年取り組んでいる。「新しい」という言葉は
軽く新鮮なイメージがあるが私にとっては、
重く(ネガティブではなく)も責任を感じ、
追いかける。いや追いかけらるような
イメージの言葉である
話を息子に戻す。彼は来年受験である。
親としては東京の学校を勧めた。本人もどうやら
そのつもりのようである。希望通りに行けば、
彼も自由に都会の風を吸い、充実した学生生活を
送るであろう。また「跡を継がない」という
ある意味「自由」を与えた。
しかし和菓子屋を継がせるための教育は一切して
きていないが、幼い頃から私にしか出来ない事を
教えてきたつもりである。
また私も親である。彼に「自由」を与える
代わりに「責任」を与えた。
彼も気が付いているはずである。
自分の名前に「新」という一字が入っている
意味を。
彼の「新業態開発」を楽しみに、私も負けずに
引き続き「新業態開発」に取り組んでいきたい。
そしていつの日か
初代であり終代としての仕事を遂げたいと思う